明治30年6月、根室の国から野付牛(現北見市)に本部を転営する際に伊勢神宮天照大神を奉戴し、屯田市街地の北端高台(現、野付牛公園の南端の丘)に御神殿を建立し鎮座祭を斎行して護国神社と称されました。
これが現在の北見神社となっています。
現在も北見神社は、春はつつじ、秋は紅葉の境内に彩られ、歴史を回顧しながらの散策は北見市民の心の拠り所として広く親しまれています。
氏子崇敬者の共有財産たる北見市鎮守の氏神神社として、市民の幸福と繁栄をたえず見守っています。
北見神社の由緒
Story of Kitami Jinja
明治30年6月、屯田歩兵第四大隊野付牛移駐の際に奉斎された護国神社が始まりで、昭和17年10月に『北見神社』と改称されました。
北見神社の歩み
History of Kitami Jinja
開拓時代からの北見神社の歴史を振り返りご紹介します。
御祭神
Gosaishin
皇室の御祖神で日本民族の総氏神の総親神と仰がれる天照大神と、海の守護神として仰がれる住吉大神、五穀豊穣の農業神で衣食住の守護神として仰がれる豊受毘賣神をお祀りしています。